「向こうのレンガの塀がね…」「へぇ。」

かつて八幡製鐵所の本事務所だった跡地には、
いま、北九州八幡ロイヤルホテルが建っています。
前回の写真を拡大すると、ブライダルフェアの看板と
結婚式用の教会の塔が写っていますね
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さらにホテルの方へ歩くと、長い階段がありました。

この一歩一歩は、
天にも昇るような幸福な結婚を予祝しているのか?
あるいは、
結婚後の苦難の道のりを暗示しているのか?笑 k05
そう、枝光地区は、坂や階段の多いまちでもあります。
→(パート2『坂と階段のまち編」へ

階段を上っていくと、こんな案内板が。 k06 「えー、まだ続くの?」と思っても人生はひき返せません。笑

上りきってホテルの敷地を裏手に回ると、 本事務所時代のレンガ塀を発見。 2代目の本事務所ができたのが1922(大正11)年だそうで、もしかすると、大正期のものかも知れません。 k07ネットで調べてみると、本事務所の建物には 「鉱滓煉瓦(こうさいれんが)」が使われていたそうです。
「鉱滓」とは、鉄をつくるときに生じる不純物で、 これらをレンガの素材としてリサイクルしたものが 鉱滓煉瓦だとか。
ここのレンガ塀も、きっとそうだと思います。(たぶん) k08

では引き続き、枝光にある有名な(?)
近代化の産業遺産をめぐってみましょう。 (つづく)

天国への階段。

洞海湾(どうかいわん)を望む坂のまち、枝光。

いちばん低い所をJR鹿児島本線と県道が走り、
山の斜面に沿って頂上まで住宅が密集しています。
まるで段々畑のようです。(宮田町)
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明治期の製鐵所の操業以来、各地から
仕事を求めて八幡に集まってきた人たちのために、
山を切り拓いて上へ、上へと家を建てた結果です。

詩人の北原白秋が八幡を訪れたときにつくった
『八幡小唄』にはこんな一節があります。

「山へ山へと八幡はのぼる
はがねつむように家がたつ」

枝光地区のいちばん高いところにある大宮町から
洞海湾を見下ろすと、こんな眺望です。
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一部を拡大してみましょう。
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キリンのようなガントリークレーンと貨物船が見えますね。

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こちらは枝光駅前商店街から上がっていく“百段階段”。
見上げると「わお!」と思わず声が出てしまいます。
高齢者にとってはキビしい環境です。
よく見ると右側の建物のわきにも、細くて急な階段がついています。
どこまで上がれば天国にたどりつけるのでしょうか。笑
(つづく)

鉱炉とシャトルの見える街

枝光のまちの歴史は、教科書にも載っている
近代化の産業遺産「八幡製鐵所」とともにありました。
下の写真は、枝光の坂の上からその発祥の地である
東田方面を撮ったものです。
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その昔、八幡製鐵所の構内だった場所には
「スペースワールド」のアトラクションが並び、
中央に建つスペースシャトルの右奥には、
1901(明治34)年に操業を開始した
「東田第一高炉跡」が写っています。

かつて地元を離れ、数年ぶりに帰省したときに
スペースシャトルがどどーんと建ってるのを見て
とてもびっくりしました。

リリー・フランキーさんの小説、
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の
一節にはこう書かれています。

 もう、現在の小倉の街には路面電車の姿はない。あの大きかった製鉄所も立ち並ぶ煙突もない。そして、その跡地にはテーマパークが造られ、なんの冗談かアメリカの宇宙ロケットが展示してあるらしい。(p11)

枝光は、その“冗談のような”スペースシャトルと
溶鉱炉のモニュメントの隣にある町で、
かつては八幡製鐵所の本事務所が置かれていました。
その跡地がちょうど「枝光1丁目1番」にあたります。

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昔の製鐵所の本事務所(2代目)は、
長さ100m以上の堂々たる建物でした。
写真手前に写っているのは1985(昭和60年)に
廃止された西鉄の路面電車です。
懐かしい!
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2013年の夏、かつて電車が走っていた同じ場所を
路上観察しながら、子どもたちと歩きました。
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「昔はね、ここに電車が通っとったんよ」
「ふーん・・・」

(つづく)

ケガしちゃったの?

t01小学生がつけたタイトルは【ケガしちゃったの?】 。

絆創膏(ばんそうこう)が一枚貼られただけで、あら不思議。
擬人化されて、わんぱくな鉄柱に見えてきます。

絆創膏の呼び方は、バンドエイド、カットバン、サビオなど、
地域によってさまざま。ネットで調べると、
その呼び方で出身地がわかるほどだとか。
ちなみに枝光地区にはいまも
“リバテープ”と呼ぶオバちゃんがいます。
(つづく)