10月11日の夕方、枝光八幡宮の境内で
Baobabさんの素晴らしいパフォーマンスがありました。
前回に続き、アーティストや作品について
何の知識も先入観もないまま、まちなかのヤジ馬として
ぶらっと立ち寄って観てきたので報告します。
神無月、そろそろ“逢魔が時”という頃に現れたのは、
若い男女6人のダンスグループ。
ときには天女のように、ときには死霊のように、
軟体動物のごとく、機械じかけのごとく、
波うつ。うねる。はねる。渦巻く。砕ける。漂う。
なーんて書いても、伝わらないですね。
では、40秒ほどの短い動画で雰囲気だけでも。
(つぎはぎのデジカメ動画ですみません)
非日常的な身体の躍動をじっと見つめていると、
ふだん私たちが生活しているときの意識や感覚が、
しだいにあやしく揺らいできます。
「なんだろう…この動きは…この感じは…」と
頭のなかにざわざわと広がっていく意味の空白。
よくわからない状態のまま、浮遊していく感覚。
たとえば、目にみえない「魂のようなもの」を
どう表現するか、いかにカタチにするかという点で
宗教と芸能・芸術はよく似ています。
古代の人々が、よくわからない自然の力を「神」と呼び、
その到来を「まつ」ことが「まつり」となったように、
現代の私たちは、日常を異化し、揺さぶってくれる
パフォーマンスとの出会いを心待ちにしています。
Baobabさんに限らず、この芸術祭に来てくれた
パフォーマーの皆さんは、大げさな言い方をすると
まちにとっての来訪神=まれびと役のような存在だと
言えるのかも知れませんね。
何ものかが立ち現れ、去っていく舞台。
神社という特別な場所ということもあって、
日常と非日常の境界で
そんなことを考えてしまいました。
では、今回のパフォーマンスのラストシーン、
夢幻能のような余韻を残して去ってゆく
ダンスの神々の後ろ姿をどうぞ。
いいですね。なんだかクールでせつない。
枝光まちなか芸術祭は、今日で千秋楽。
お祭りは、家に帰りつくまでがお祭りです。